非二元の世界は言葉では表しきれない

非二元や悟りについて語る
師の言葉。

それらは
非二元や悟りに
興味を持ち始めた
ごく初期の段階では役に立ちます。

けれども
本当に
非二元を体験したければ
師の言葉から
離れなければならない。

離れるとは
鵜呑みにしない
心の拠り所にしない
知識として理解しようとしない
という意味です。

僕は今まで
非二元や悟りに興味をもつ
色んな人と接してきて
非二元を
知識として理解したがために
非二元を体験出来ずに居る人に
沢山接してきました。

悟りについての
知識が豊富で
何十年も座禅をして
悟りの体験が出来ずにいる
沢山の人に接してきました。

自分よりも
師を上に位置付けたがために
非二元を体験出来ずに居る人に
沢山接してきました。

そのように
概念だけで
非二元・悟りを解釈すると
本当の悟りの体験が
出来なくなる理由を書きます。

概念だけで非二元・悟りを解釈すると本当の悟りの体験が出来なくなる理由

非二元・悟りは
言葉では表しきれないので
言葉に表すと
必ず矛盾が生じます。

何故なら
二元の世界は

A = A
B = B
A ≠ B
B ≠ A

の世界ですが
非二元はそれに加えて

A = B
B = A
A ≠ A
B ≠ B

も成り立つ世界だからです。

つまり
メビウスの輪のように
表が裏で
裏が表の世界だからです。

これを
2次元の平面の世界と
3次元の立体の世界に例えて説明します。

マグカップは
平面では無限の形に表せますね。

写真は
上下左右360度から撮れますし
マグカップに光を当て
影絵のように
壁に影を映し出した時
その影の形は
無限に表れますからね。

こんな
3次元では
何の矛盾もない事が
2次元では
不思議な矛盾があるように
感じられます。

取っ手が
右にあるものと
左にあるものが同じ。

四角で表せるものと
円に棒が付いてるものが
同じものなんですから!

もしも
世界を2次元でしか
捉えられない人が
居るとすれば
それは
アンビリーバブルな世界ですね!

それと同じように
二元の世界しか知らない人からは
言葉にすると
矛盾だらけの状態が存在するのが
非二元の世界なのです。

なので
非二元を言葉にすると
必ず矛盾が起こります。
時には
真逆の表現にもなります。

私は居ない。
が非二元を表す唯一の事実でもないし
私は居ない。
を体験するのが非二元を知る事
でもないのです。

「私」と「私以外」
という概念すらないとも言えるし
「全てが私」とも言える。

僕を含めて
非二元を体験した人は
言葉にしてそれを伝えたくなります。

けれども
言葉で表し切る事は
やはりできないのです。

なので
師の言葉を
知識としてのみ理解すると
いつしか
師が言葉で表した
非二元・悟りの世界とは
一見似ているようで
実は似ても似つかないイメージが
自分の頭の中で構築されます。

そして
そのイメージが
非二元・悟りの世界だと
信じ込んでしまうのです。

そうなると
非二元・悟りの世界は
永遠に体験出来なくなります。

ありもしないものを
あると信じて
それを体験しよう
としているのですから
当然の事ですね!

ですから
本当に非二元・悟りを
体験するために
最低限必要な事は
以下の4つです。

本当に非二元・悟りを体験するために最低限必要な4つの事

この4つは最低限必要な事です。
沢山の人が
報われない努力をしなくて済みますように!

その中でも
一番重要なのは
自分の内側で起こっている事の観察です。
座禅などの
限られた特定の時間だけでなく
いつでもどんな時でも
観察をする必要があります。

それから
表れるネガティブな感情に乗っからない事も
とても重要です。
乗っからずに
ただ緻密に緻密に感じていく。

それさえしてれば
必ず悟りの体験は出来ます!
誰でも!

1.世界を言葉で理解しようとしない。
  言葉から得る情報は
  手掛かりに過ぎないと理解する。

2.師の言葉から離れる。
  師の言葉を心の拠り所としない。

3.何よりもまず
  自分の内側で起こっている事を
  (本当は内側と外側の区別などないのですが)
  ただ純粋に精密に観察する。
  観察から得られたもの
  自分自身の感覚を
  何よりも最優先に信頼する。

4.表れる思考と感情は
  自分自身そのものではない
  と理解する。
  自分の本質はそれとは別にある
  と理解する。

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