僕たち人類共通の大いなる癒しが繰り広げられている

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現実といわれる世界は自らの内なる世界の投影だ

僕は
溝口あゆかさんから非二元
すべては投影
という
究極的な宇宙の法則を学び
ゾクチェンの夢の修行
を自分なりに
暮らしに取り入れて以来

「現実」
と称される
この3次元世界は
明らかに
自らの内なる世界の投影だ
という解釈なしには説明がつかない。
そんな
体験を幾つもしてきた。

というより
日常の出来事の一つ一つを
丁寧に 確認すればする程
日常の
ほんの些細な出来事でさえ
万に一つの例外もなく
本当に
出来事のことごとくが
自らの内なる世界の投影に過ぎない

という事を
思い知らされるのだ。
大いなる感謝と共に。

セラピーによって
自らの内なる世界を癒し
自らを解き放っていく度に
「現実」
と称される
この世界の展開が
今までとはまるで違ってくるのを
目の当たりにするのだ。
圧倒的な感謝と共に。

今の世界の現象は人類の集合意識を癒すために起こっている

2021年。

今いよいよ
僕たち人類共通の
大いなる癒しが展開されている。


「現実」で
繰り広げられている
今まで体験した事のない現象は
人類共通の
大いなる癒しのために
もたらされている。

この状況こそが
大いなる癒しのために用意された
舞台装置なのだ。

闇の勢力として語られる存在も
実は
自らの内に蓄積された
ネガティブなエネルギーの現れに過ぎない。

なので
大いなる癒しが進めば進む程
「現実」は変わってくる。

大いなる癒しは
人類の永い歴史の中で
ありのままの自分で居る事を
禁じられる事によって
蓄積されてきた
自分の内側の
ネガティブなエネルギーの存在に
気付く事から始まる。

僕たちは
完全な自由
本当のありのままの自分で居る事を
永い永い間
禁じられてきた。

怖れのエネルギーは
僕たちの中に培われ続けられた。
あらゆる方法で。

躾。
教育。
法律。

義務や責任
罪や罰
という言葉の元に。

時には
愛情を逆手に取られたり
一時的なご褒美をチラつかされたりしながら。

その
ネガティブなエネルギーは
身体のどこにあるか?
どんな風にあるか?
この感覚を
繊細に繊細に
出来るだけ鮮明に感じていく。

この感覚を
拒む事なく
消し去ろうとする事なく
むしろ
その感覚に寄り添い
全身で堪能し味わい尽くす。

それを
何度も何度も繰り返す。
自分の内側に
ネガティブなエネルギーを感じる
その度に
何度も何度も。

これによって
人類の集合意識の
大いなる癒しは完了に向かっていく。

ならば行動しなくて良い?癒しだけしてれば良いのか?

「現実」が
自らの内なる世界の投影に過ぎないなら
行動しなくて良い。
癒しだけしてれば良いのか?
という
問いが浮かぶ人も居らっしゃるだろう。

それについて僕は
「不確定」
とだけお答えしようと思う。

とかく人間は
「正解」を設定したがる。
「正解」を設定し
それに基づいて行動すれば望みが叶う

という思考パターンを
人間は持っている。

だから人間は
「正解」を求め行動する

という
行動パターンを持っている。

それは確かに
ある程度・ある段階・ ある次元までは有効なのだ。

美味しいご飯の炊き方
とか
今から一番早く京都駅に着く方法
とか。

しかし
「正解」を設定したばかりに
却って
行動が制限され
可能性が失われる

という現象も
日常では
実は頻繁に起こっているのだ。

なので僕からは
「正解」を設定する
「正解」を設定しない
どっちでも良い
その全てが「正解」
(=その全てが「不正解」)
としか申し上げられない。

つまり
最初の問いに対しては

行動してもしなくて良いし
行動しないで癒しだけしてても良いし
癒しなんかしないで
行動だけしても良い

とだけ申し上げたい。

かと言って
「正解」がない訳でもない。
これだ!という
「正解」は確かにある。
だが正解は
瞬間ごとに変わる。

としか申し上げられない。
こればかりは伝えようがない。
言葉( = 概念)にすると
どうしても矛盾が生じる。
この文章も言葉なので
本当は違う。
こればかりは
自らが覚醒するしかない。

ブッダもイエスも
自らの教えを
自らは1文字も表さなかった理由が
ここにある。

そして
この宇宙は
起こった方が良いことしか起こらない。

そういう風に出来ている。

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