無条件の愛を感じられるようになる方法

世界中の殆どの人が信じているビリーフは気付きにくい

前回お伝えした
ビリーフの中には
殆どの人が
これは人として正しい!
と信じて疑わないものもあります。

例えば

  • 約束は守るべき
  • 迷惑をかけたら謝るべき
  • 盗んではいけない
  • 騙してはいけない
  • 殺してはいけない

などつまり
常識・当たり前
と思われているルールがそうですね。

これらは
社会秩序の維持に
必要なルールだと
信じて疑わない人が多いと思いますが
実は
それは思い込みです。

信じ難い人も
沢山居るかも知れませんが
これらは
ありのままの自分自身を
抑圧しているビリーフに違いないのです。


ただ
世界中の殆どの人が
抑圧しているので
抑圧してる事に気付き難いだけなのです。


それらは一見
手放す必要のないビリーフだと
思われがちですが
それらは間違いなく
自分自身を抑圧しているビリーフなのです。

その証拠と
それらを手放せばどうなるかを
これからお伝えします。

手放した先には
何ものにも縛られる必要のない
あるがままで完璧な
あなたが居ます!

ネガティブな感情はビリーフで自分自身を抑圧してるサイン

ビリーフで
自分を抑圧しているかどうかを
確かめる方法があります。

それは
ビリーフの法則によって確かめる
という方法です。

ビリーフの法則

ビリーフで
自分を抑圧している人は
そのビリーフに背く人に対して
怒り・憎しみ・嫌悪感・違和感などの
ネガティブな感情を必ず抱く。

これを確認すれば
自分をビリーフで抑圧しているかどうかが
分かります

ただし
抑圧してない人でも
それらの
ビリーフに背く出来事に対して
悲しみ・痛みなどのネガティブな感情は表れます。

けれどもそれは
自分の信じているビリーフに
背く「人」に対してではなく
「出来事」に対しての反応なのです。

そしてその反応には
人に対しての慈しみが
必ず伴っています。

また
反応に対する解決法が
排他的・批判的・破壊的か?
調和的・共感的・創造的か?

その違いで
自分をビリーフで抑圧しているかどうかが
分かります

ネガティブな感情の中には
自分を抑圧しているビリーフが隠れています。


実のところ
正義は存在しないし
正義の怒りも存在しません。
全て錯覚なのです。

正義を設定した途端
悪は生まれます。

(本当は
正義は存在しない
というのも錯覚です。

真実を言葉に表すと
どうしても
矛盾が生まれます。

真実は
メビウスの輪のように
表と裏が
一体になっているからです。)

あらゆるビリーフを手放すと無条件の愛を感じられるようになる

そんなバカな!
それらは
ビリーフなんかではなく
人が幸せに暮らす上で必要な
絶対的に正しいルールだ!
これらがなくなると
世界は秩序を失い
大混乱に陥ってしまう!

って思いますか?

そう思うのも無理もない
と思います。
それらの
ビリーフがない世界を知らない人にとっては
そんな世界は
恐怖でしかないでしょう。

けれども安心して下さい。
実は
それらのビリーフを手放した先に
無条件の愛が見えてくるのです。


ていうか
本当は元々
ここにあるのですが
ビリーフを信じている限り
無条件の愛は感じられないのです。

ここで一度
ジョン・レノンを真似て
呼びかけてみたいと思います。
これは今
僕が本当に
心から望んでいる事です。

イマジンしてみよう。

地球上の誰もが
自分は
無条件の愛で満たされている
無条件の愛で守られている
この世の全てが大切なものだ


頭ではなく
理性ではなく
本当に
体験として実感出来たと。

そうなれば
約束を破りたくなるだろうか?
謝る事に抵抗を感じるだろうか?
盗みたくなるだろうか ?
騙したくなるだろうか?
殺したくなるだろうか?

また
自分は
無条件の愛で満たされている
と知っている人は
約束を守らなかった人
謝らなかった人
盗んだ人
騙した人
殺した人に対して
怒り・憎しみ・嫌悪感・違和感を抱く事は
あるだろうか?

むしろ
そうしてしまう原因になっている
その人の心の傷
満たされない何かを
思いやるようになるんじゃないだろうか?

自分の中のあらゆるビリーフ
( = ジャッジする基準・自分の中の正解)
を手放すと
無条件の愛があらわになってきます!

無条件の愛は
自分を抑圧している
ビリーフを手放せば手放す程
感じられるようになってきます。

自分を抑圧している
ビリーフを手放せば手放す程
憎しみと背中合わせの
条件付きの愛は消えてしまいます。

ビリーフを手放す鍵は
ネガティブな感情にあります。
つまり
ネガティブな感情を感じる事が出来る
全ての人に
無条件の愛を知るチャンスが
与えられています。

ここで大切なのは
手放すとは
無くす
という意味では決してなく
ビリーフによって
自分自身が自分を抑圧しているという
今のありのままの状態に
気が付いて
今をありのままに受け入れる
という意味です。


イエス・キリストは
無条件の愛を
文字通り命を懸けて

形に表しました。

僕たちが
無条件の愛を知るチャンスは
日常のそこここに
散りばめられています!

ネガティブな感情に
向き合う事は
無条件の愛を体験する

確実な道なのです!

無条件の愛と共に生きる事が
全ての人にとって
本来

一番自然な状態なのです!

僕は
無条件の愛と共に生きる事が
人として最も正しく立派だ
とは思っていません。

ただ
無条件の愛に
近づけば近づく程
言いようのない安心感
感謝の気持ちと共に
居られるようになるので
生まれたからには
それを体験しないと
本当に勿体ないと思うのです。

それは
特別な才能など
何一つなくても
望めば誰でも手に入るものなのです。

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