そもそもエゴって何?

僕はエゴという言葉を
以下の意味で使っています。

●覚醒してない人にとって

 エゴ = 自分そのもの

●覚醒した人にとって

 エゴ = 覚醒前に「自分」と思っていたもの


エゴは
自分を守る役割を担っています。
なので
自分の存在価値を
何とか維持しようと
思考を巡らせます。

エゴは常に
危機から逃れて
安心を得ようとします。

エゴは
自分の価値が失われるのを
とても怖れます。

エゴは常に
自分が優位であろうとします。

そしてエゴは
自分が心の底で
信じているにも関わらず
自分が認めたくないものを
上手く隠そうとします。


思考の観察が習慣になると

自分が考えてるのではない
考えはやってくるもの

思考は思考
自分そのものではない

身体は身体
自分そのものではない


と実感できるようになります。

そして
自分の内側と外側という
区別がなくなります。


つまり
精神と物質の
区別がなくなります。

そんな風に
実感出来るようになるための
エクササイズは
以前お伝えした
思考から離れて「今」を感じるエクササイズ
とか
思考から離れて「今ここ」を感じるエクササイズ(基礎編)
が有効ですが
今回はもう一つの
エクササイズを紹介します!

エゴを客体化するエクササイズ

普段
「自分」と思っている存在に
名前を付けます。
例えば僕は
「エゴっち」って呼んでいます。

そして
そのエゴっちと
事ある毎に対話します。

例えば
誰かに腹が立った時

「何なんだあいつは。
鈍感な奴だなぁ。
人に配慮するって事を知らないのか。」

って考えるんじゃなくて

「何々?そっか~エゴっちは腹が立ってるのか~。
あの人は鈍感だって思うんだね。
あの人は人に配慮するって事が分かってない
ってエゴっちは思うんだね。」

って感じで対話をします。

声に出すのは恥ずかしいでしょうから
頭の中で対話します。

バカっぽくて幼稚くさいけど
事ある毎にやってみて下さい!
特に
腹が立つなど
感情が高ぶった時にやると
感情から離れられ
エゴに振り回されなくなります!

幼い頃
自分の事を
○○ちゃんって
三人称で呼んでた人も
いらっしゃると思います。

その頃は
○○ちゃん = 自分
っていう感じが
まだ定着してなくて
本質としての自分との繋がりを
今よりも感じられていたのでしょう。

僕も幼い頃
何だか僕は
滋ちゃんって呼ばれてる
この中に閉じ込められたみたいだ。

と感じた記憶があります。
すごく不思議な感じがしていました。

自分と自分以外の区別なんてなかった。
この身体が自分?何か不思議。
幼い頃は多分みんな
そういう感覚を持っていたと思います。

その感覚が
周りからの刺激によって
成長と共に失われてしまった。

悟りとは
あの頃の感覚を取り戻す。
実はただそれだけの事なんです。

僕は何で
なかなか立って歩けるように
なれないんだろう?
なんて考える事もなく
ただ歩きたくて
何度転んでも歩こうとして
気付いたら歩けるようになっていた
あの頃の感覚を。

(生まれつき歩けない人は
歩くを喋るに置き換えて
解釈して下さると嬉しいです。)

コメント

タイトルとURLをコピーしました