自閉症の人達と接して

去年3ヵ月間
僕は自閉症の人が暮らす施設で
生活支援員をしていた。
担当は
重度の知的障害を持つクラス。

僕は昔から
自閉症の人に愛着と共感を覚える。
自分と重なる要素を感じるのだ。
僕のアスペルガー的要素が
共振するのだ。

彼らの奇行を見てると
すごく面白くて
僕は大好きになってしまう。

僕にとって本当は
彼らの奇行は奇行ではない。
彼らのユニークな自己表現だと映る。

でも他の職員さんは
顔をしかめる。

曲がる時は
必ず直角に曲がる人。

歩いてて
何度も地面に這いつくばる人。

平面のちょっとしためくれが
気になり
ずっと爪で引っ掻いてる人。

脱衣の場所が決まってて
そこに誰か居ようとも、
邪魔になっても、
そこで必ず脱衣する人。
他にスペースが幾らでもあるのに!

本当にすごく面白い!
個性の発揮を見るのは本当に楽しい。

彼らが
ネガティブな感情になった時の
表現も実にユニーク。

手の甲を舐めて、
そこを指でしっぺしながら唸るとか

目を大きく見開いて
ハーハー息を荒げるとか

指を口の中に入れて
噛むとか。

服を脱ぎだすとか
トイレ以外で放尿とか

すごい!って思う。
彼らは
人目をまるではばからない。
理性・恥に
束縛されていない。
ありのままを
一切包み隠さない。

そこがすごい!と思う!
そして
僕の中にも
それと似た衝動がある事に
僕自身も発見する。

でも他の職員さんは
顔をしかめる。

職員さんは
彼らが
健常者と同じように行動すればOK
と思っているのだ。
それが
社会に適応する最善策だと。
それは僕にはまるで
犬の躾のように感じられた。
時には力ずくで。

それを見る度
僕は心に痛みを憶えた。

トイレ以外で放尿したり
他の人の食べ物を食べたり
・・・なので無理もない
と思うかも知れない。

だが
僕の魂からは
それは違う!
と大きな声が聴こえる。

彼らが
周りを困らせる行動をするのは
ネガティブな感情になった時だけ。

彼らの
個性を尊重し
ネガティブな感情のケアをすれば
彼らが
周りを困らせる行動はなくなると
僕は直感的に感じた。

だが
その施設では
そのアイデアを実行することは
許されなかった。
僕はこの施設を去ることになった。

最後の日
食堂でお別れの挨拶をした。

挨拶の後
何人かの利用者さんが
僕に近づいてきた。

一人の利用者さんは
僕の目の前に来ると
180センチもある身を屈めて
頭を差し出した。

彼は
僕と作業をしている時
上手く出来ない事があると
頭が混乱して
呻きながら
両手で自分の頭を叩いていた。

その度に僕は彼に
大丈夫だよ何も悪くないよ
と言いながら
その手を抑えて
頭を撫でていたのだ。

なので
その時も僕は
彼の頭を撫でてハグをした。

別の利用者さんは
忘れないでね。と言って
自分で描いた絵と
摘んできた花をくれた。

僕は
彼女が泣いている時

ある職員さんが
いつまで泣いてるの。
いい加減にしないと。

と言っていたので
その後こっそりと彼女に
悲しい時は
悲しみを感じて良いんだよ
といって
EFTの真似事をした。

そしたら
たちどころに悲しみは消えた。
彼女の素直さに僕は感激した。

僕が施設で働きたいと思った
きっかけは
実は

全ての存在は
生まれながらにして完璧だ

という
昔読んだ
虹と水晶という本の
ナムカイ・ノルブ リンポチェの言葉が
ずっと頭に残っていて
それが本当なのか?
彼らと接すれば
分かるのではないか?
という考えがあったからだ。

そして
彼らと接して
それは疑いようもなく真実だった!
と心から実感できた。
彼らのお陰。
感謝の言葉もない。

そして今僕は
全ての人が
本来の自分らしさが抑圧される事なく
思う存分発揮できる世界を作りたいと
心から思っている。

施設の職員さんと僕は
調和する事はなかった。

この封じ込められたような感覚。
この痛み
この悲しみと
正直に向き合う事。
それが
僕が自由になっていくための
新たな鍵。

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